【春の浅草で出会う和の迫力】流鏑馬が描き出す、伝統と美の共演
東京・浅草。雷門や浅草寺、仲見世通りなど、四季を問わず多くの人々でにぎわうこの下町で、毎年春に開催される「流鏑馬(やぶさめ)」をご存じでしょうか?
流鏑馬とは、馬を走らせながら的に矢を放つ、日本の伝統武芸の一つ。古の武士たちが鍛錬と神事を兼ねて行っていたこの技芸は、今は現代の祭りとして生まれ変わり、毎年4月、隅田公園で華やかに披露されます。
この記事では、浅草流鏑馬の歴史、見どころ、そして地域とのつながりについてご紹介します。
流鏑馬とは何か?
流鏑馬の起源は古墳時代までさかのぼり、当時の権力者であった欽明天皇が「天下平定・五穀豊穣」を祈願して行った神事が始めとされています。
その後、平安時代には弓馬礼法として定められ、馬上による実践的な弓術として存在していました。鎌倉時代には時の権力者、源頼朝が武士の精神修養と戦技訓練として推奨したことが記録に残っています。疾走する馬の上から的を射抜くというその技術は、単なる武芸を超えた精神統一と集中力の結晶でもあります。
矢が的に命中することで、五穀豊穣や厄除けを祈願するとされ、現在も全国の神社で奉納行事として行われています。
浅草流鏑馬の歴史
浅草流鏑馬は、江戸時代に浅草神社の正月行事として毎年1月5日に開催されていたものを、1983年に観光行事として復活させたものです。同年にはフランス、パリのエッフェル塔の下、シャンドマルス公園でも披露された浅草流鏑馬。「東都歳時記」などによると、正月行事として行われていた時代は、弓矢を射るのは神職だったそうです。現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で執り行われています。
開催概要
浅草流鏑馬は例年4月の第3土曜日、台東区・隅田公園の特設馬場で開催されます。2025年は4月19日(土曜日)に開催予定で、草鹿(くさじし)は11時45分から12時45分まで、流鏑馬は13時から14時30分まで行われます。
観覧場所は、草鹿が台東区立隅田公園 山谷堀広場、流鏑馬が台東区立隅田公園 特設馬場内(すみだリバーウォーク~言問橋間)です。
見どころ
流鏑馬の魅力は、何といってもその視覚的な美しさと迫力にあります。射手たちは、鎌倉時代の狩装束をまとい、疾走する馬上から、壱ノ的、弐ノ的、参ノ的を次々と弓矢で射抜きます。
間近で感じる馬の蹄の音、蹴り上げた砂煙。的を射抜く射手の姿はさながら錦絵のように美しく、当時の武士の文化を感じ、自然と思いを馳せてしまいます。
また、イベントの冒頭には「草鹿」も開催され、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)の古式装束を着けた射手が、高さ約110cmの鹿の形をした的を約20mの距離から弓で弾き、その腕前と所作の美しさを競い合います。
流鏑馬のこれから
近年ではインバウンド観光客の増加により、海外からの注目も高まりつつあります。欧州に訳せる文化がなく英語でも「Yabusame」と表記する流鏑馬。流鏑馬のような伝統文化は、ただ保存するだけでなく、現代的な演出や観光資源としての活用によって、より多くの人に伝えることが求められています。
浅草流鏑馬はその好例といえる存在です。伝統に忠実でありながら、観光と文化振興の両立を実現しており、地域社会とも密接に連携しています。今後も多くの人々にその魅力が伝わり、次世代へと受け継がれていくことでしょう。
おわりに
「流鏑馬」は、ただ馬に乗って矢を射るだけの競技ではありません。それは、精神性、歴史、芸術、そして地域の営みが融合した、まさに“生きた伝統文化”です。
観る者の心を打ち、現代に暮らす私たちに「日本らしさとは何か」を問いかけてくれる流鏑馬。春の浅草で、その迫力と美しさを体感してみてはいかがでしょうか?
浅草の春を彩る流鏑馬。目の前を駆け抜ける馬の息づかい、矢の音、射手の所作。そのすべてが、古の武士たちの魂を現代に蘇らせます。
観光として訪れても、文化として学んでも、そこには日本人の「美」と「力」の原点があります。まだ体験したことのない方は、来春、ぜひ浅草へ足を運んでみてください。
あなたの中の“日本”が、少し変わるかもしれません。